今年2025年(令和7年)は、昭和100年、終戦から80年となる年であるが、何かと節目の年ならではの様々な話題に事欠かない。その中でも地下鉄サリン事件や阪神淡路大震災はちょうど30年まえで記憶に新しい。1995年1月17日午前5時46分に発生したマグニチュード7.3の兵庫県南部地震は、人口が密集した大都市が直撃を受けた大地震であり、多くの教訓を残した。筆者が自衛隊東京地方連絡部(市ヶ谷)で勤務していたときで、当時テレビは地震発生を速報、逐次判明する被害状況をリアルタイムで伝えていた。被災地から立ち上る煙が次第にその数を増やし、倒壊した高架の高速道路が無残に横たわる映像を目にすると、次第にその被害の深刻さが伝わってきた。被災した地域には子供のころ通った小学校のある街(兵庫県伊丹市)が含まれていたこともあり、人一倍の関心を持って震災への対応など事態の推移を見守っていた。当然のことながら、自衛隊も総力を挙げて災害派遣に取り組んだのだが、現地で救援活動に携わった隊員から後日いくつかの興味深い話を聞いた。
ある避難所で活動していた時、被災者ための毛布が届いたのだが、避難所に集まっている人数に見合う十分な数ではなかったことから、すぐに配ることなく目につかない場所に積んだまま長時間放置されたという。避難者の数に見合う量になったところでようやく配分を開始したというが、厳冬の寒い朝一刻も早く体を温めたかった人は少なくなかったであろう。批判や不平・不満を恐れ、ただ単に公平な対応を優先した“お役所仕事”の典型であると言えよう。年寄りや子供、体の不自由な人などを優先すれば、容易に解決することができたことである。
被災してから数日後になってのこと、被災地に自衛隊の野外入浴セットが1ヶ所開設され、被災者が久しぶりに暖かい風呂に入ることを喜んでいるとのテレビ報道があった。後日談で聞いたのは、この時すでに数多くの入浴セットが現地に到着していたが、受け入れる自治体は開設場所の割り当てや設置に必要な指示・要望などが全くできず、入浴支援部隊は長期間の待機を余儀なくされたという。これには、毛布の配分が遅滞した事例とも共通する要因がそこにあると思われる。一番利用しやすい場所はどこか?利用者か多いのはどこか?など設置に必要な条件を収集整理するだけで時間がかかり、迅速な意思決定を妨げていたことになる。利用できないまま長期間待たせるよりも、とりあえず設置可能な場所を選び開設するのも有力な一案であろう。
この点、民間企業の判断は迅速であり、躊躇することなく支援を即時に実行に移した事例がある。都内のある寝具会社の社長は、テレビ報道で地震の発生を知りその被害の大きさがわかると、首都圏の倉庫にある毛布や寝具類を、阪神地区に大量に送ったという。避難所などでニーズはいくらでもあることは容易に想像できるし、時間のかかる現地との調整は後回しにして、どこからの要請も待つことなく大規模な交通渋滞や規制が起きる前のわずかな時間帯を利用して被災地に届けたのである。
またこの時、土木・建築の作業に使われる建機、重機、土工機などの建設機械も同様に、被災直後のわずかな時間帯を利用して阪神地区に送り込まれたという。筆者の知る農業用ビニールハウスのパイプを供給するW社は、災害復旧で常にニーズがある上下水道管やガス管などを、被災地に即時に届けられるよう、あらかじめ計画準備し事前の訓練もしている。
この様な取り組みは、その後東日本大震災の教訓を経て政府でも取り上げられ、平成24年(2012年)の災害対策基本法改正で「プッシュ型支援*による支援物資供給」として正式に導入、平成28年(2016年)4月に発生した熊本地震で初めて実施された。
*注;プッシュ型支援とは
発災当初は、被災地方自治体において正確な情報把握に時間を要すること、民間供給能力が低下すること等から、被災地方自治体のみでは、必要な物資量を迅速に調達することは困難と想定される。このため、国が被災都道府県からの具体的な要請を待たないで、避難所避難者への支援を中心に必要不可欠と見込まれる物資を調達し、被災地に物資を緊急輸送しており、これをプッシュ型支援と呼んでいる。(内閣府;防災情報のページ参照)
筆者の部下の独身隊員の家族(母親と妹の二世帯)が居住するアパートが倒壊、東京での避難生活を検討していた。東京地連に臨時勤務中のその隊員の原隊(本属部隊)が管理する官舎(習志野)に空き家があったことから、そこへとりあえず家族が入居できるよう担当者と調整した。しかしながら、当該隊員が都内で借りているワンルームマンションの住居手当の支給を停止すれば官舎への入居はできるが、重複する貸与はできないとのこと。宿舎を管理する担当者としては、当然の判断ではある。この報告を受け官舎を管理している部隊との調整を一旦保留し、本庁の所掌課長に直接電話を入れた。「現場の判断は変えられないので、この件は特例としてトップダウンで決断願いたい」と。問題はあっけないほどスムーズに解決、家族は空き家になっていた官舎に入居することができた。その後当該隊員の同僚らは、洗濯機や掃除機など生活に欠かせない品々を有志からかき集め、官舎に送り届けていた。緊急時の例外的な判断は、「どこでなされるのか?」を考える好事例である。
災害発生時の混乱の中で「いつ、だれが、何を判断するか」は、大きなテーマの一つである。危機管理を主任務とする自衛隊員とりわけ指揮官を務める幹部自衛官にとっては、生涯を通じ学ぶべき最大の課題ともいえる。どうやってこの重要な資質を鍛えるかは、自衛隊の教育・訓練・演習の中で常に工夫して取り入れてはいるが、場数を踏むに勝る方法はないともいえる。
災害対処のための準備訓練ではどのようなやり方が有効か、経験豊富な自衛隊OBを有する当協会は企業の皆様に効果的な訓練のプログラムを提供できるよう、各種シナリオを準備してお待ちしています。いつでもお気軽にお尋ねください。
2025年7月10日
一般社団法人 防災訓練士協会
代表理事 安村勇徳
